セメントのお話

セメント
 セメントは古代ギリシャ・ローマ時代には、火山灰、石灰、焼き石膏などによる気硬性のセメントが用いられましたがその後廃れました。 近代セメントはイギリスで1819世紀にかけて発明され、現在の大規模な生産に至っております。 焼成により珪酸三酸化カルシウム、珪酸二酸化カルシウム、アルミン酸三石灰などの鉱物が生成し、二水石膏とともに粉砕され細かくされます。 常温で水とセメントが接触することにより水和反応が始まり、セメント鉱物の加水分解により非常に細かい結晶を生成します。 細かい結晶の集合により容積は変わりませんが比表面積は、水和前より約1,000倍程に大きくなり分子間引力が増大し硬化現象や強度を発生します。 このような焼成により水和反応をする近代セメントは、日本では1875年(明治8年)宇都宮三郎等により研究や製造が始められました。
参考文献:
「セメントの常識」(社)セメント協会編
「コンクリ−トのおはなし」(改訂版)吉兼 亨、(財)日本規格協会、2002.6
窯業工学ハンドブック(新版)、(社)窯業協会編、198228

宇都宮三郎出生地の記念碑

豊田市郷土資料館での特別展

幸福寺での没後百年祭

 

宇都宮三郎
 宇都宮三郎は日本で最初に「化学」という言葉を用いた人で、後にはセメントの製造も日本で最初に手がけました。 1834年(天保5年)生まれ(幼名:神谷銀次郎重行)、愛知県(尾張藩, 現在の名古屋市中区車道)出身で親交のあった福澤諭吉と同じ年に生まれ1902年(明治35年)に死去しました。 現豊田市幸福寺に埋葬されており、第二東名高速道路のコンクリート製高架橋が見渡せる場所です。 1875年(明治8年)日本最初のセメントを製造しましたが大量には作れなかったようです。 口述記による「宇都宮氏経歴談」では、セメントに関することはほとんど触れていませんが(大鳥圭介氏による宇都宮氏経歴書にはセメント製造に関し少し書かれている。)当時、舎密学(オランダ語の日本語表記で化学の意味)から化学へと移り変わる必要性を説いております。 また江戸時代末期に本人が行った化学分析の定量分析では、ろ過に美濃紙を用いたり、硝酸の精製では銀を入れて塩素を除く方法、舶来ビールビンに硝酸を入れ大砲の地金を温浴上で溶解す方法などなかなかの工夫が書かれています。 なお宇都宮三郎の没後100年を記念して2001113日〜122日の間、豊田市郷土資料館にて特別展が開かれ、遺品の展示や福澤諭吉、柳河春三(三郎と同郷の尾張藩出身で日本最初の近代雑誌を発行)との交流が取上げられていました。 また幸福寺では2001113日に没後百年祭が執り行われました。
参考文献:
豊田市郷土資料館編「舎密から化学技術へ」豊田市教育委員会、2001.11
「宇都宮氏経歴談」、1932.7(増補編)
「わが国化学のパイオニア・宇都宮三郎」セメント・コンクリート、659pp66pp67
2002.1、(社)セメント協会